世界 最 弱 の オセロ。 世界最弱のオセロAIが弱過ぎて絶対勝っちゃう件wwwww

世界最弱のオセロAIは本当に弱いのか、実際に戦ってみた!

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世界最弱のオセロAI負けるのが難しすぎwwプレイはこちら! AVILEN社CTOである吉田拓真さんという方が作ったオセロAIが弱すぎると話題になっています! こちらがその本人のツイートになりこちらからその最弱AIとのオセロ対戦が楽しめます! 僕もやって見ましたがまったく負けることができなくて難しかったです。 逆転の発想。 【画像で見る:最弱オセロの遊び方】 今回公開された「最弱オセロ」は、PC・スマホを問わずに楽しめるゲーム。 通常は「盤面の石を1つでも多く自分の色に染めた方が勝ち」というルールですが、最弱オセロはその真逆。 盤面上に1つでも自分の石を残さないことで勝ち、つまり負ければ勝ちというルールが採用されています。 ゲームのリリースから間もなく、TwitterではAVILEN社CTOの吉田 拓真( TakuAtCoder1)さんが「負けられるなら負けてみてくれ!」とツイートし、4000件以上のリツイートされるなど話題に。 「AIが負けるように駒を配置してくるから勝つのと同じくらい難しい…」「10回以上やりましたが絶対負けること出来ないですね。 まいりました」「負けようとしても勝ってしまう!強い(いや、弱い!か?)」など、AIにどうしても負けられない人たちからの悲鳴が上がっています。 ねとらぼ編集部でもこのゲームをプレイしてみたところ5戦5勝。 何とか角を取らないでおこうと思っても、どんどん追い詰められて4つ角を取ってしまい、AI相手にボロ勝ちの状態が繰り返されました。 なお記事執筆時点(7月28日12時時点)でのAI戦績は120勝101795敗26引分となっています。 yahoo. 逆に負けた人は誇って良いのがおもしろいですねww 逆に本気で負けてみた!っていう動画が話題に!.

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【オセロ実況】負けるが勝ち!最弱オセロAIに有段者が挑戦してみた!

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福地啓介選手: 今はうれしいっていうことだけ。 福地啓介選手(11) まさしく「 オセロ界の藤井聡太」の呼び声高い福地選手。 日本へ帰国するにあたり、経由地となったドイツ・デュッセルドルフ空港で、 嬉しいサプライズが待っていた。 それは、ドイツ離陸前の飛行機の機内で起こった。 機長からサプライズアナウンス 機長: 第42回世界オセロ選手権、ボードゲームのオセロでございますが、チェコのプラハで開催されました。 本日その世界チャンピオンをこの飛行機にご利用いただいております。 今回のチャンピオン、最年少優勝記録11歳という快挙でございます。 ドイツを離陸する前の機内 機長がアナウンスで福地選手の快挙を紹介したのだ。 そしてさらに、続けざまに衝撃の事実が明かされた。 機長: 実を申しますと、 以前の記録は私自身が1982年に打ち立てた15歳という記録、今回大幅な更新でございます。 大変な快挙でございます。 オセロ最年少チャンピオンだった全日空の谷田邦彦機長(1982年・当時15歳) オセロの元世界最年少記録保持者であることを告白したのは、オセロ7段を所有している、全日空の谷田邦彦機長 51 だ。 実は谷田機長は、1982年に当時15歳で世界選手権を制覇した、オセロの元世界チャンピオンだった。 しかも、36年前に打ち立てた 世界最年少記録は、福地選手が優勝した今回まで36年間続いていた。 つまり、かつての最年少記録保持者が同じ飛行機に機長として搭乗し、祝福のメッセージを送ったのだ。 世界選手権前から、谷田機長がパイロットとなるように調整し、サプライズ祝福が実現したのだ。 そして先程、谷田機長がコメントを発表した。 谷田機長: みなさんのご活躍をぜひご搭乗いただいた皆さまと分かち合いたく、お時間を頂戴し、機内アナウンスをさせていただきました。 心から「おめでとう」を何度でも申し上げたいです。 突然の祝福アナウンスに対し、福地選手の反応はどうだったのか。 帰国便に同乗した日本オセロ連盟の理事: 福地君は小さいので、表情が見えなかったんですけども、ご両親もとっても驚かれて喜ばれて「えぇ~!」というところだったので、(福地選手も)すごく喜んでいたと思います。 さらに、帰国した福地選手と谷田機長を空港で出迎えた中島哲也八段は、機内での裏話を明かした。 中島八段: その話(アナウンス)をした後、谷田さんは涙を…こう…(谷田機長は)自分の記録が破られた、ちょっと悔しさはあるけれども、オセロ愛好家の一人として、めちゃめちゃうれしいことだという言い方はしていましたね。 (「プライムニュース イブニング」10月16日放送分より).

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プレイ中のオセロの盤と石 オセロはボードゲームの一つである。 それぞれ黒と白を担当する2人のプレイヤーが交互に盤面へ石を打っていき、最終的に盤上の石が多かったほうが勝ちとなる。 相手の石を自分の石で挟んだときは、相手の石を裏返すことで、自分の石にする。 「挟んだら裏返す」という基本原理が理解できれば、初期配置やパスなどいくつかのルールを知るだけで、すぐにオセロをプレイすることができる。 なお、公式戦では、さらに細かい競技規則も定められている。 オセロとほぼ同様のゲームは、元々 リバーシとして知られていた。 リバーシは、 ジョン・モレット John Mollett と ルイス・ウォーターマン Lewis Waterman によってにので考案された。 その後、出身のボードゲーム研究家・ によって頃にで現在知られているパッケージが開発され、その父・によって「オセロ」(の『』に由来)と命名された。 長谷川がオセロ開発に当たってリバーシを参照したのかどうかは不明であり、オセロとリバーシの関係性をどのように位置付けるべきかは争いがある。 また、オセロ発祥の地についても、ロンドン、東京、水戸という3つの説がある。 いずれにしても、「オセロ」「Othello」という名称はメガハウスのであるため、他社からはリバーシとしてほぼ同様のゲームが発売されている。 オセロは、抽象戦略ゲーム()の一つであり、運の要素がなく、2人のプレイヤーが互いに知恵を絞って実力だけを頼りに勝敗を決する。 ゲームのルールは単純明快だが、多数の戦術が生み出され、日々戦略的な進歩を続けている。 このことを端的に表した「 覚えるのに一分、極めるのに一生 A minute to learn, a lifetime to master 」という言葉がになっている。 著名な戦術としては、定石や偶数理論などがある。 数学的には、オセロは・・などと同様にに分類され、による研究も行われている。 は、に人間の世界チャンピオンに勝利しており、人間のトッププレイヤーを上回る実力を持つ。 もっとも、コンピュータが発達した2019年現在もオセロの完全解析はなされておらず、なお未知なる奥深さを持つ。 世界各国で子供から老人まで様々な人によってプレイされており、世界のオセロ競技人口は約6億人と推計されている。 特に、日本ではの文化として定着しており、競技人口が多いだけでなく、オセロを題材にした数々の文化的活動も行われている。 オセロは、遊びであると同時にの一つとしても知られている。 世界各国で多くの大会が開催されており、日本では囲碁や将棋などと同様に複数のタイトル戦が存在する。 最も大きな大会は、から毎年開催されている 世界オセロ選手権である。 このほか、オセロ・リバーシには、 ニップ、 グランドオセロ、 エイトスターズオセロ、 ロリットなどの派生ゲームも存在し、様々な形で人々から親しまれている。 ルール 使用用具 オセロをプレイするために必要な用具は、盤と石である。 オセロの石は、表裏を 黒と白に塗り分けた平たい円盤状のものを使用する。 メガハウスによる公式のオセロ用具は、表のようにプレイヤーの便宜を図るために様々な工夫を凝らした製品が順次追加されている。 メガハウスによるオセロ用具 発売時期 製品名 特徴 1973年 - オフィシャルオセロ 最初に発売されたオリジナルの用具。 公式大会では現在もこれが使用される。 1975年頃 - マグネットオセロ 石がマグネット式で盤に張り付くので傾けてもずれにくい。 盤は折り畳み可能。 1970年代後半 - ベストオセロ、ナイスオセロ 石を保管するためのケースが盤に内蔵されている。 2000年代にもマイナーチェンジあり。 1980年代前半 - ヴィクトリーオセロ 入門用。 盤のマス目に立体ガイドが付いており、簡単にマス目中央に石を置くことができる。 2004年 - 大回転オセロ 盤に固定された回転式の石を使用。 石をなくす心配がない。 旧称「オセロ極」 - 2013。 2005年 - 大回転オセロミニ 大回転オセロの小型版。 持ち運びに適する。 旧称「オセロ極Jr. 」 - 2013。 また、向けに触って石を識別できるもの、石をつまむことのできない向けに盤と一体化した石を回すことでプレイできるもの(表の「大回転オセロ」も該当)など、バリアフリーを意識した用具も開発・発売されている。 基本ルール オセロの基本ルールは以下の通りである。 なお、以下では符号を用いて説明することがあるが、図の盤面外に記載されている列と行を表す。 例えば、f5はf列5行目のことである。 事前準備として、以下の2つが必要である。 などで各プレイヤーがそれぞれ黒番(黒石を打つ)と白番(白石を打つ)のどちらを担当するかを決めておく (公式戦での手番決定方法は後述)。 初期配置として、図1のように 盤面中央の4マスに黒石と白石を2つずつ置く。 右上と左下が黒石、左上と右下が白石になるように互い違いに配置する。 事前準備を終えたらゲームを開始する。 4子局(白番) 実力差がある場合には(ハンデ)をつけて対局することもできる。 ハンデキャップ戦では、実力差に応じて図のように盤面の隅に黒石を置いた状態からゲームを開始する。 ハンデキャップ戦の場合は、下手が黒番、上手が白番を持つが、通常の対局とは異なり、白番(上手)の先手で対局を開始する。 伏せ石 オセロは黒と白の石を用いるが、基本ルールで説明したように 黒を担当するプレイヤーが、白を担当するプレイヤーがとして、プレイヤーの手番が色と合わせて定められている。 手番を含めた両プレイヤーの地位をそれぞれ黒番・白番と呼ぶ。 大会などの公式戦では、「伏せ石」と呼ばれるのに近い方法で黒番・白番を決定する。 伏せ石のやり方は、引き分けありの対局と引き分けなしの対局でそれぞれ異なっており、以下のように決まっている。 まず、上位者が石一つを手で隠して盤上に置く。 次に下位者が引き分けの有無によって以下の方式で宣言を行う。 引き分けありの場合は、下位者は「上」もしくは「下」と宣言する。 引き分けなしの場合は、下位者は「黒」もしくは「白」と宣言する。 下位者の宣言が終わったら上位者は石を隠していた手をどけて石を開示する。 石の上面が黒白どちらであるかを確認し、引き分けの有無に応じて以下の通り黒番・白番を決定する。 引き分けありの場合は、開示された石の上面・下面の色のうち、下位者は宣言した側の色を担当する。 すなわち、下位者が「上」と宣言したときは開示された石の上面の色、「下」と宣言したときは開示された石の下面の色を下位者が担当する。 引き分けなしの場合は、一方のプレイヤーには「黒番・白番を選ぶ権利」、他方のプレイヤーには「終局時に石の数が同数だった場合に勝者となる権利」が与えられる。 下位者が宣言した色と開示された石の上面の色とを照らし合わせ、的中している場合は下位者、的中していない場合は上位者が、どちらの権利が欲しいかを選択する。 最後に黒番・白番を選ぶ権利を得た側のプレイヤーが黒番と白番のどちらにするかを選ぶ。 ブライトウェル・ポイント 主要な国際大会等では、で勝ち星の数が並んだ際、イギリス代表選手で数学者のグラハム・ブライトウェルが考案したブライトウェル・ポイントと呼ばれる点数を計算して順位を決定する。 ブライトウェル・ポイントは、以下の数式で計算される。 4」に最も近い整数の6である。 歴史 オセロの起源 現在普及しているオセロのパッケージは、日本オセロ連盟元会長のが頃にで完成させてゲーム会社のに持ち込み、に発売されたものである。 長谷川がオセロを開発するに至った経緯については本人の説明が二転三転しており、定かではない。 特に、オセロのルーツについては、• ジョン・モレットとルイス・ウォーターマンがにので考案した アネクゼイションや リバーシ(源平碁)というゲームがオセロの原型であり、長谷川が東京都内でリバーシの基本ルールを維持しつつ名称・用具・環境などを整備してパッケージとして確立したものがオセロである。 に中学生時代の長谷川本人がリバーシとは独立にで考案した 挟み碁というゲームがオセロの原型である(結果的にオセロとリバーシは似通ったゲームとなっているが両者は無関係)。 という2つの説がある。 オセロ発売当初、長谷川は リバーシがオセロの原型であるとしていたが 、頃からは、 自身が考案した挟み碁がオセロの原型であると主張するようになっている。 なお、2000年以降の長谷川の発言以外に挟み碁というゲームが実在したことを裏付ける根拠はない。 このような経緯から、オセロとリバーシの関係性やオセロ発祥の地については争いがある(詳しくはで後述)。 アネクゼイション、リバーシ、挟み碁、オセロは、いずれも「挟んだら裏返す」という基本原理に共通点があるが、細かい部分では表のような違いがある。 オセロとそのルーツになったゲームの違い ゲーム名 最初期の文献(出典) 開発年・開発者・発売元 石の色 盤面の形状 初期配置 複数石挟み 着手不能時 着手回数制限 アネクゼイション Waterman v. Ayres (1888年) 1870年(ロンドン) ジョン・モレット F・H・エアーズ 不明 十字形 不明 不明 不明 不明 リバーシ(19世紀) Reversi and Go Bang (1890年) 1883年(ロンドン) ルイス・ウォーターマン ジャック・アンド・サン• クロス• パラレル• 19世紀のリバーシ オセロに似たゲームとして記録に残る最古のものは、にので ジョン・モレット John Mollett が開発した アネクゼイション Annexation というボードゲームである。 アネクゼイションは、十字形の盤面を用いていたが、現在のオセロと同様に「挟んだら裏返す」という基本原理に基づくゲームだった。 開発から6年後のにF・H・エアーズがこれを発売した。 リバーシは、にロンドンのサタデー・レビュー紙に掲載され、世に知られることになった。 ウォーターマンは、にリバーシを商品化し、ジャック・アンド・サン(現・)から発売した。 なお、リバーシ発売後にF・H・エアーズがアネクゼイションの改良版として「Annex a Game of Reverses」という名前でリバーシとほぼ同一のゲームを販売したため、商標をめぐって訴訟となったが、「リバーシ」は「裏返す」という意味の単語「Reverse」に由来し、からでプレイされていた伝統的ゲームのリバーシス(の原型)の別名でもあることから商標権は認められず、両者はともにこのゲームを販売できることになった。 商品化から2年後のにウォーターマンが承認したリバーシの解説書 によると、当時のリバーシと現在のオセロとのルール上の違いは、以下の2点のみである。 初期配置オリジナル・ルール 初期のリバーシでは、盤面に石を置かずにゲームを開始していた。 初手から4手目まで交互に中央4マスのうち好きな位置に石を打ち込むことで、初期配置を決めた(なお、初期配置を決めるための4手は相手の石を挟まなくて良かった)。 着手回数32手制限ルール 初期のリバーシでは、両対局者はそれぞれ最大32回しか石を打つことができなかった。 つまり、ゲーム開始時に各々の手元に32個の石が配布され、相手のパスによって自分が連続して着手した結果手元の32個の石を使い果たしてしまった場合は、それ以降の自分の手番がすべてパスになった。 同書によると当時のリバーシの石の色は 黒と白 black and white であり、現在のオセロと同様である。 もっとも、ジャック・アンド・サンから発売されたオリジナルのリバーシは、チェッカーと同様に黒白 、黒赤 、赤白 という少なくとも3通りのバージョンが存在していたことがボードゲーム収集家のリチャード・バラムのコレクションで確認できる。 20世紀のリバーシ リバーシが考案されてから20年ほどの間にルールの変遷があった。 まず、着手回数32手制限ルールはすぐに廃止され、相手がパスした場合には相手の手元の石を使ってもよいことになった。 1900年頃のF・H・エアーズのリバーシに添付されたルール説明書には、「彼が打つことができないでいる限り、対戦相手は彼の石を使用して打つ」と明記されている。 また、初期配置に関しては、簡便のために最初から中央4マスに石を置いてからゲームを開始するのが主流となった。 この結果、20世紀初頭には、現在のオセロとのルール上の違いはほぼなくなっており 、 に編纂された『』 では現在のオセロと完全に同一のルールが定められている。 リバーシの初期配置 オリジナル(黒番) もっとも、初期配置に関しては、図の3つのルールがとして併存しており、どのルールを採用するかは競技団体・競技者や開発メーカーによって違いがあった。 なお、クロス・ルールを採用した場合(『世界遊戯法大全』など)には現在のオセロと完全に同一のルールとなる。 石の色については、黒白のものもあったが 、世界的には黒赤が主流となり、日本では源平になぞらえて主に(赤白)の石を使った。 リバーシは、早くから日本にも輸入され、「 源平碁」という名前で発売された。 なお、名称は「源平碁」であるが、ではなく表裏が別の色に塗り分けられた通常通りのリバーシの石でプレイされた。 リバーシ(源平碁)は現在のオセロとよく似たゲームである。 しかし、現在のオセロほどの支持を得ることはできず、忘れられた存在となっていった。 オセロ発売当初の説明によれば、 長谷川は幼少期に兄がプレイしているのを見てリバーシのことを知った。 そして、忘れられたゲームだったリバーシの道具を1970年頃に東京で改良して復活させたものがオセロである。 挟み碁 囲碁の盤と石 近年の長谷川の主張によれば、オセロのルーツは、が終わって間もないの夏にで長谷川が考案した簡易ゲーム 挟み碁である。 長谷川によれば、当時の長谷川と同級生たちは 相手の石を囲んだら取れるという囲碁のルールがよく分からなかった。 そこで、長谷川の発案により、 相手の石を挟んだら取れるという簡易ルールで遊んでいた。 その後、石を取るのではなく、相手の石を挟んだら自分の石と置き換えるというルールに改良し、現在のオセロに近いものとなった。 さらに、自分の石と置き換える作業を簡単にするため、碁石ではなく表裏を黒白に塗り分けた紙の石を裏返すというアイデアに至った。 挟み碁には「挟んだら裏返す」という基本原理以外に定まったルールはなかった。 長谷川は、中学・高校・大学で級友とこのゲームを楽しんでいたが、大学卒業によって遊ぶ機会がなくなり、挟み碁は一旦姿を消すことになった。 これが2000年頃から長谷川が主張するようになったオセロの起源である。 オセロの成立 牛乳瓶の紙蓋 当時、での営業担当として仕事をしていた長谷川は、同僚の女子社員たちから何かゲームを教えて欲しいと頼まれた。 長谷川は・ともに五段の腕前を誇り、最初はこれらのゲームを教えたが、難しすぎるとのことで上手く行かなかった。 また、妻にも囲碁を教えたが、これも上手く行かなかった。 そんな折に少年時代の記憶にあったリバーシもしくは挟み碁のことを思い出した。 そこで、自宅で妻と家庭のの紙蓋 を集めて石を自作し、女子社員たちにルールを教えたところ、彼女らが昼休みにこのゲームを楽しむようになった。 さらに、営業先のでもこのゲームを紹介したところ、入院中の患者の時間潰しやに使えるとのことで好評を博した。 長谷川が担当していたある病院の医局長からは「このゲームは社会復帰を目指す患者のリハビリに適し華がある」と太鼓判を押されたという。 手応えを覚えた長谷川は、仲間たちとともに実験・研究を繰り返し、このゲームをさらに改良することにした。 さらに、当初長谷川は間接挟みでも石を返すという現在よりもやや複雑なルールを採用していたが、直接挟みのみに限定した簡明なルールに変更した。 これにより、 1970年頃、東京で現在のオセロと同様のゲームが完成した。 完成したゲームには、当初黒と白の石をに見立てて「ランラン・カンカン」という名前(上野動物園のに由来)が検討されていた が、長谷川の父親で旧制水戸高等学校(水高)の英国文学教授であったの発案で「オセロ」に変更された。 これは、英国文学の代表作であるの『』に由来する。 緑の平原が広がるイギリスを舞台にして、黒人の将軍・オセロと白人の妻・デズデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るという戯曲のストーリーに、緑の盤面上で黒白の石が裏返って形勢が変わっていくゲーム性をなぞらえたものである。 商品化とオセロブーム 10月 、長谷川が玩具メーカーのツクダにオセロを持ち込んだところ、これが認められ、商品化が決まった。 商品化に先立ち、1月には 日本オセロ連盟が設立され、同年には 第1回全日本オセロ選手権大会が開催された。 同年 もしくは に「オフィシャルオセロ」が発売された。 ツクダの商品企画部門の責任者だった和久井威によると、当時玩具に対してキャラクター以外のを払うという意識が業界にはほとんどなく、オセロについてもやは取得されていなかった が、ツクダのオーナーは「おもちゃはアイデアだから」と支払を認めたという。 玩具業界には子供向けのボードゲームは4人以上で遊べるべきという意識があったため、2人用ゲームであるオセロは大人をターゲットとして、パッケージ表面にはやを写したデザインが採用された。 価格は2200円に設定された。 初期ロットは在庫を残さないよう3,000個で、経費の都合でテレビCMも打たなかったものの、の店頭などで実演販売をすると着実に売れていった。 これに自信を得た和久井がその年の年末商戦に向けてテレビCM を製作したところ、オンエア後の10月からの3か月間で38万個、翌に120万個以上 、に280万個が売れる大ヒット商品となった。 『日経流通新聞』(現『』)のでは、1973年、1974年と2年連続で「」に選出された。 にでも発売され、その年のうちに100万個が売れたという。 この年から、世界オセロ選手権大会も始まった。 ツクダの玩具製造部門は1974年からツクダオリジナルとして独立。 、ツクダオリジナルはの子会社となり、3月には和久井が経営すると経営統合してとなった。 さらにには、パルボックスはの子会社に統合され、2020年現在はメガハウスがオセロを販売している。 なお、アメリカ合衆国ではゲイブリルが最初の販売元だったが 、その後数社の変遷を経て、2007年時点ではが欧米での販売権を所有している。 和久井によると、2007年時点でもオセロは年間40から50万個は売れ続けているという。 オセロとリバーシ オセロとリバーシの違い オセロとリバーシの違い(再掲) ゲーム名 最初期の文献(出典) 開発年・開発者・発売元 石の色 盤面の形状 初期配置 複数石挟み 着手不能時 着手回数制限 リバーシ(19世紀) Reversi and Go Bang (1890年) 1883年(ロンドン) ルイス・ウォーターマン ジャック・アンド・サン オリジナル(黒番) リバーシ(Reversi、レヴァルシー、源平碁)は、オセロ発売以前からあるほぼ同様のゲームである。 リバーシは、とでわずかに異なる(細かい変遷については、を参照)。 20世紀のリバーシは、石の色について黒白、黒赤、赤白という3パターンの配色があり、初期配置についてクロス、パラレル、オリジナルという3種類のが存在した。 オセロは、このうち、石の色に黒白、初期配置にクロスを採用したものと同一である。 黒白の石 、クロス配置 はともに1907年以前の文献に掲載されており、オセロが初出ではない。 なお、「リバーシは盤面の大きさが自由であった」「リバーシはパスができなかった」などとされることがある が、誤りである。 オセロとリバーシの関係性 オセロは、リバーシよりも後発のゲームであり、そのルールは初期配置クロス・ルールを採用したリバーシと完全に同一である。 そのため、オセロは先行するリバーシに依拠して開発されたのか、リバーシに依拠しているならば別ゲームと言えるほどの違いがあるのかという点がしばしば議論される。 オセロ開発者のの説明が一貫しないことから明確な結論は出ておらず、オセロとリバーシの関係性およびオセロ発祥の地については、以下の3つの見解がある。 オセロはリバーシの商品名の一つ(ロンドン発祥説) リバーシをプレイするために開発された新しい用具の商品名がオセロであるとする見解である。 この見解に立った場合、オセロで初期配置がクロスに限定されていることは、同一ゲーム内のローカルルールの変化にすぎず、ゲームとしては発祥のリバーシの範疇に含まれるということになる。 オセロはリバーシを改良した新ゲーム(東京発祥説) リバーシが改変されて成立した新しいゲームの名称がオセロであるとする見解である。 この見解は、オセロはリバーシに依拠しているものの、頃での長谷川のゲーム研究によって、名称・用具・環境が整備され、初期配置がクロスに限定されたことでゲームとしての本質的な部分が変化し、リバーシとは区別される新ゲームが完成したと考える。 オセロはリバーシとは独立に考案された類似ゲーム(水戸発祥説) オセロはリバーシとは関係なく戦後にで長谷川が挟み碁として独立に考案した全く別のゲームであるとする見解である。 この見解によれば、リバーシとの類似は偶然ということになる。 なお、 挟み碁というゲームの存在を裏付ける根拠は、2000年以降の長谷川の発言以外になく、他の見解の立場からは、 史実でないとされている。 オセロの独自性論争 長谷川は、にからオセロを発売した当初、リバーシの影響下にあること自体は認めたうえで、改良による独自性をアピールし、新ゲームとしてこれを宣伝した。 長谷川は1973年の雑誌記事でオセロ開発の経緯について以下のように記し、源平碁(リバーシ)を土台にゲームを改良したと明言している。 何か原型になるものはないか? そのとき私は、兄が30年以上も前の小学生時代に 源平碁をやっていたことを思い出した。 〔 中略〕現在は滅びてしまったが、 これを土台に改良すればいけると直感した。 — 長谷川五郎(1973年)、 の著書『オセロの打ち方』でも、長谷川はリバーシがオセロの原型であると認めたうえで、ゲームの面白さは、ルールが3分の1、 名称・用具・環境などの要素が3分の2を占めることを指摘し、後者が不十分であったリバーシは子供の玩具以外の何物でもなかったが、オセロはすべてを整備して大人でも遊べるゲームとして完成させたものであるとアピールしている。 これに対し、複数の専門家がオセロはリバーシと別のゲームと言いうるほどの独自性はなく、リバーシの商品名の一つにすぎないと指摘し、新ゲームとして喧伝されていることに批判的な見解を示した。 小説家のは、オセロ発売直後に疑問を抱いて独自の調査を行い、娯楽研究家であるの著書『娯楽大百科』 の記述などに基づいて、オセロはリバーシとそのまま同一のゲームであるといち早く指摘した。 都筑は、ツクダが海外輸出を目指していることに触れ、以下のようにオセロを批判している。 Othello is the 19th-century English board game of reversi with nothing altered except the name. (オセロは名前以外に何一つ変わりがない19世紀イギリスのボードゲーム・リバーシだ) — マーティン・ガードナー、 なお、長谷川はオセロ発売前のにオセロの実用新案を出願(のちに拒絶査定が確定)しているが、その出願書類の中では、日本では半世紀にわたって源平碁が行われているとの見解を示したうえで、自身の新案を源平碁用具(石、盤、計算表)の改良であると説明し、 「源平碁」という名称で出願をしている。 また、リバーシとオセロのルール上の唯一の違いである、クロス配置への限定については、肯定的な評価も否定的な評価も存在する。 元オセロ世界チャンピオンのベン・シーリーは、パラレル配置では白番が完勝してしまう展開があるが、クロス配置では黒白の利点が拮抗して引き分けに至る展開が多いことを指摘し、クロス配置を採用した長谷川を高く評価している。 一方、ゲーム研究家のは、クロス配置がパラレル配置に劣る理由として、初期配置の状態で180度回転させても同じだから上下が区別できなくなってしまう点、初手がすべて対称形なので選択の余地がない無意味な一手になってしまう点を指摘し、長谷川が初期配置をクロスに限定したことを「オセロはリバーシの改悪」と断じ、厳しく批判している。 オセロの商標とその影響 ゲームとしての独自性の有無はともかくとして、長谷川の構築した名称・用具・環境を伴うブランド力によってオセロは全世界に普及した。 オセロの認知度が向上するに伴い、次第にリバーシ自体が オセロの影響を受けるようになった。 20世紀のリバーシにはクロス、パラレル、オリジナルの3つの初期配置ルールが存在することは前述したが、現代ではパラレルやオリジナルのルールでプレイされることはほとんどなく、オセロと同様のクロス配置が主流となっている。 また、石の色も黒白、黒赤、赤白の3パターンがあったが、こちらも現代ではオセロと同じ黒白が主流となっている。 つまり、もはや両者に違いはなく、実質的に リバーシはオセロの別名と言いうる状況となっている。 これは、オセロのを持つツクダ(ツクダオリジナル、パルボックス、メガハウス)以外の各社が、商標権との抵触を避けつつオセロと同様の商品を販売するためにリバーシの名を借りたためである。 1973年のオセロ発売当初、「オセロ」という商品名は商標として、黒白の石や緑の盤面などのデザインは意匠として、ともにツクダによって登録され、権利保護の対象となっていた。 その後、は保護期間の20年が満了したため、他社も同一のデザインを使用することができるようになったが、商標権はなおも保護が続いている。 そこで、他社は、オセロはリバーシの商品名の一つであるとする見解に基づき、「リバーシ」の商品名でオセロと同一デザインの商品を発売するのが一般的となっているのである。 には、日本最大手のオセロ情報サイトを運営していた元タイトルホルダーのオセロ選手に対し、ツクダオリジナルが 商標権侵害であるとして内容証明郵便を送り付けたことがきっかけとなって 、日本で商標権のないリバーシに着目する動きが広まり、元タイトルホルダー4名を含む多数の高段者たちが集まって日本リバーシ協会を設立した。 その後、日本リバーシ協会は活動を停止した。 なお、日本の公共放送では、オセロの商標を避けるために「 黒と白の石を取り合うゲーム」などと言い換えて報道していたことがある。 リバーシ依拠性論争 オセロが水戸発祥って2000年くらいに突然五郎さんが言い出して僕なんかは困惑した話なんですよ。 それまでは1960年代にゲーム研究して1973年までに完成・発売したという話を信じてたのに、急に戦後の水戸発祥ってことになった。 — hasera、 これ以降、オセロはリバーシとは独立に水戸で考案されたとする情報が広く拡散した。 オセロ販売元のは、2020年現在、オセロは長谷川が水戸で独立に考案したとする説を採っている。 水戸市は、同説に基づき、「オセロ発祥の地」を自称し、オセロにまつわる様々なイベントを開催している。 一方、世界オセロ連盟は、2020年現在オセロの歴史に関する項を空欄にしており、態度を明らかにしていないが 、長谷川が死去したには、当時の世界オセロ連盟会長だったトール・ビルゲル・スコーゲンが、長谷川はリバーシに基づいてオセロを開発したとする見解を示しつつ長谷川に哀悼の意を示す声明を発表した。 なお、オセロがリバーシに依拠して開発されたのかどうかはともかくとして、いずれにしても長谷川がオセロを発売した時点ですでにリバーシの開発者はこの世におらず、 特に権利関係が問題視されることはない。 戦術 オセロ戦術の発展 オセロは単純なルールでありながら、勝つためには頭脳、読み合い、駆け引きが要求される。 非常に多彩な戦術が知られており、「 覚えるのに一分、極めるのに一生 A minute to learn, a lifetime to master 」という言葉がになっている。 1890年のリバーシの解説書には、すでにいくつかの戦術が掲載されていた。 隅の重要性や序盤での注意点など基本的な戦術が解説されている。 さらに進んで、現在知られている詳細な戦術を体系的に整備したのは、オセロのパッケージを開発したである。 長谷川は、に『オセロの打ち方』を著し、この中で、様々な棋譜とともに勝つための戦術を体系的に解説した。 その後、オセロの流行とともに様々な強豪プレイヤーが自らの理論を書籍として出版し、オセロ戦術は日々進歩を遂げている。 ここでは、標準的な戦術書でよく解説される基礎的な概念を説明することで、オセロ戦術の全体像を概観する。

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